カサリンチュNew Single「故郷(ふるさと)」発売記念特設サイト みんなの故郷(ふるさと)はどこですか?

奄美大島笠利町出身・在住の2人組ユニット、カサリンチュ。ユニット名の由来は、笠利の人という意味。
		デビューから5年、今も地元・奄美大島に住みながらアーティスト活動を行っている彼らがデビュー当時から歌い続けてきた楽曲「故郷(ふるさと)」のニューシングル発売を記念して、みんなの故郷(ふるさと)エピソードを大募集!

みんなの故郷(ふるさと)はどこですか?

著名人の故郷エピソード

  • 山口智充
    (タレント)

  • 河瀬直美
    (映画監督)

  • 西靖
    (MBSアナウンサー)

  • 御法川修
    (映画監督)

  • 中 孝介
    (シンガー)

  • 須永珠代
    (「ふるさとチョイス」代表)

  • 麓憲吾
    (ライブハウスASIVI・あまみエフエム代表)

ご投稿いただいた故郷エピソードの中からカサリンチュスタッフのいいだっか!を獲得したものをご紹介します。
				一番感動、共感したエピソードの「いいだっか!」にチェックを入れていただき、投票するボタンを押してください。
				皆様の投票数により「最優秀いいだっか!賞」が決まります。

  • Bemu(北海道/男性/30代)さん

    故郷から出て行く時、見送りにきてくれた友達と親に「がんばるから」と伝え、 故郷を離れ、仕事を毎日がんばっていました。
    初めての一人暮らしを体験し、最初は憧れていたけど、 いざ、体験してみるとすごく孤独になり、何もない部屋の中、親に電話をかけた事もありました。
    今まであまり感じなかった親のありがたみがすごく伝わってきました。
    家に帰れば、当たり前のように食べ物があり、当たり前のように話しができる家族ってすごいなと改めて感じた瞬間でした。
    それから、何年か経ち故郷へ帰る事にしました。
    家に帰ると、親が「おかえり」と言ってくれて、それを聞いた時、すごく懐かしく思えました。
    僕は、「ただいま」と言って家の中へいきました。

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  • 桔子(神奈川県/女性/50代)さん

    生まれ育ったのは 絵に描いたような下町

    スカイツリーの よく見える ところです
    よく 人情にあつい って 言葉 使うけど

    暑苦しい と 思ってました
    旅行に 行けば 向こう三軒 両隣 お土産買う
    銭湯で ご近所さんに 会えば 背中流す

    家族構成 知ってるの 当たり前
    今 彼氏が いるかも 知ってるくらいです

    いざ 引っ越して みると よかったと
    思うこと ばかりです

    ご近所さんから もらった 水羊羹 美味しかったなとか
    災害に あったら助けてくれたとか
    良いこと ばかり そんなものですね

    親みたいな ものですね!

    離れて わかる 故郷の ありがたさかな
    字余り

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  • どんがめ(宮城県/女性/20代)さん

    私は生まれてからずっと実家住まいで1人暮らしをしたことがありません。
    私の弟が大学へ進学のために、地元を離れ1人暮らしをしています。
    カサリンチュの『故郷(ふるさと)』を聴いて、ぱっと思い浮かんだのは弟の顔でした。
    この曲のように、母が弟の為にたくさんのおかずを作って冷凍して送っています。
    どの家庭も同じなんだと思いました。
    弟が帰ってくれば母と弟のケンカは絶えませんが、その声が嬉しいです。
    弟は帰ってくる度、実家は居心地がいいって笑います。
    私は家族が大好きです。
    生まれたところは住んでいるところとは違いますが、家族みんなの笑い声が聞こえるこの場所が私の大好きな故郷です。

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  • きょん(神奈川県/女性/20代)さん

    私の故郷は周りを田んぼに囲まれた新潟県の田舎町です。
    視界を遮るものもなく、大きな空を見渡すことが出来ます。 夜になれば沢山の星座が浮かび上がります。
    小さな頃はよく、母と屋根の上で星座盤を片手に星を眺めました。
    流れ星を指折り数えて競争したり。
    ゆらゆらと輝く星をUFOと勘違いして、急いで母に知らせたら、 「ばかだね、あれは瞬いているって言うんだよ」なんて言われたりもしました。
    そんな幸福な思い出もあってか、今でも星を見るのが大好きです。
    勢い勇んで都会に出てきたけれど、まだまだもがいている最中。
    どうしようもなく途方に暮れたり寂しくなったりした時に、見上げた空に映るのは一番星です。
    この街で見える星の数は少なくても、あの頃見ていた満天の星空ときっと繋がっている。
    『故郷』の歌詞のように、そう信じてみると、また明日ももう少し頑張ろうと思えるのです。
    そっと包み込むようにあたたかなこの歌を聴きながら、故郷に住む母に想いを馳せています。

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  • チェリー(東京都/男性/30代)さん

    「故郷(ふるさと)」を聴いて思い出したシーンがあります。
    東京に出て間もない頃、桜は咲いたけどまだうっすらと寒い静かな夜、公衆電話から親に電話をかけた時の事。
    その時に見つめていた緑色の電話機と、片耳から聴こえてくる半端なくあったかい声。

    田舎育ちの僕は小さい頃から東京への憧れが強かったように思います。
    町に大きなCD店はなく、自分が欲しいCDは予約するか注文するかしないと手に入らないのが当然。
    中3の時に初めて東京に出掛け、渋谷の超大型CD店に行った時に、買ってもいないCDを試し聴きできるという「試聴機」というシステムに腰を抜かし、いつか「東京に行きたい」そう心に決めました。実家に自分の部屋もなかったので、実家を出て一人暮らしというのにも憧れていました。

    大学受験のタイミングで東京の大学に合格した私は高校を卒業するや否や3月のうちに東京へ出ました。
    大学から届いた案内もろくに見ずに、とにかく早く「東京に出たい」という一心で、最速のスケジュールで東京に引越したのですが、そこに大きな落とし穴がありました。入学式の日に驚愕の事実に気付きました。
    その大学は学部によって東京キャンパスと埼玉キャンパスとがあったのですが、僕の学部は埼玉キャンパスだということでした。
    「そんなはずはない」と教務員室に駆け込みましたが、「確認しなかったのですか?」と渡されたどの案内にも私の学部は埼玉キャンパスと書いてありました。
    埼玉の北部に位置するキャンパスへは、東京の南部に借りた私の部屋からは電車とバスを乗り継いで片道3時間。
    「しばらく親には黙って通い続け、そのうちアルバイトでお金を貯めて引越そう」と思いました。
    が、そう現実は甘くなく往復6時間の通学時間に加えてアルバイトをする時間を作るのは不可能でした。

    まだ部屋に電話を引いていなかった僕は小銭を握りしめ、公衆電話に向かいましたがさすがに怒鳴られるだろうなと言い出す言葉が見つからず、そのまわりをうろうろ。
    ようやく決心がつき、ダイヤルを回すと、気づいた時には涙していました。
    「引越せばいいじゃないか。明日そっちに行くよ。」
    怒られるどころか、全部やってくれました。

    故郷を離れて、それまでは知り得なかった事を沢山知りましたが、一番最初に知ったのは親の存在でした。
    以来、「親に心配は掛けないぞ」と今も東京で踏ん張っています。

    あれから20年、この曲を聴いて久々にこの事を思い出しました。

    こちらで暮らしていると、日々色々とありますが、もう少し頑張れそうです。

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  • つばめ(東京都/女性/40代)さん

    22年前、4年の期間限定で東京の大学に進学することとなり上京しました。
    今や、家庭を持ち、生まれ育った町より東京生活の方が長くなりなりました。

    自分で決めた上京。刺激的で、便利な都会の生活。
    でも、いつも、フラットな私に戻してくれるのは、母との長電話。
    一人暮らしをして感じた、寂しさ、社会人になって感じた親のありがたみ、子を持って感じた母の願い。
    「故郷があるから」想うこと。
    これからも、その想いは変わらない。
    詩にのせて。曲にのせて。シンクロする想いが届きました。ありがとう。

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  • じゅーん(長崎県/女性/50代)さん

    私が生まれたのは長良川のすぐ近く。
    遠くに伊吹山が見え、養老山脈、もっと遠くに南アルプスの稜線が見える、周りは田んぼだらけのど田舎。
    雨の日には、新幹線が長良川に掛かった鉄橋を渡る音が良く聞こえていた。

    高校卒業と同時に実家を離れ、東京に就職。
    早く家を出たかった私は一人暮らしを満喫していた…。

    結婚のため、九州に移り住み、子供が生まれ、どんどん故郷が遠くなり…四人の子供のうち
    下三人は私の実家に初めて行ったのは、私の母と兄…つまり子供達にとっては祖母と叔父の葬式の時…飲酒運転の居眠り運転の相手のせいでほぼ即死状態…。

    実家に帰りたくても帰れず、親不孝を後悔した私を見て育った子供達。
    息子意外の娘三人はいざという時の為に、九州から離れることなく暮らしている。

    私の実家は更地になってしまい跡形もない。
    離婚して、子供達が育った家を後にした私。

    そんな私が、今度は子供達の故郷になれるのか。

    ならなきゃな。

    頑張ろう。

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  • miyo(神奈川県/女性/40代)さん

    私の故郷は、新宿。
    超高層ビルを家からも小中学校からも毎日眺めながら生活していました。
    遊びといえば、超高層ビルのエレベーターを上がったり下がったり
    小学生が喫茶店でアイスコーヒー頼んでみたり(笑)
    ご近所も水商売の方が多かったり、二丁目の方だったり
    芸能人だったり当たり前だと思っていたけど今考えるとバラエティーにとんでました。
    結婚して初めて実家を離れた場所も、今住んでいるところも、畑の前。
    土のにおいを大人になってから味わってます。
    新宿の超高層ビルをみるとわが町に帰ってきた感がわきます。
    カサリンチュの『故郷(ふるさと)』とは逆の世界。
    いつも聴きながら、
    都会の喧騒を懐かしく思い、
    私も『上京する』を経験したかったなあと思っています。

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  • ココ丸(鹿児島県/女性/30代)さん

    私は、幼い頃から夢見ていた保育士となるため
    高校卒業後、故郷を離れ働きながら勉強を行う就職進学という道を選びました。

    自分で決めた道なのに、涙が止まらず、なかなか搭乗口へ進めなかった旅立ちの日、
    寂しさを感じた場所で、同じ思いを持ったかけがえのない仲間達に出会い
    ケンカしたり、くじけた時は励まし合い、冗談もたくさんした3年間、
    そんな仲間達と別れたくないと思いながら参加した卒業式の日、
    いろんなシーンを、卒業してから9年たった今でも思い出すことが出来ます。

    楽しいことばかりでは無かったけれど、それ以上に得るものが多かった奈良県は
    生まれ育った鹿児島県と同じくらい大切な故郷となりました。

    故郷を聞くと、今は離れ離れでなかなか会えない仲間達から、まだまだやれるっ!!
    たまには肩の力をぬいていこうよ、と応援されているようで、心がポカポカになります。

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著名人の故郷エピソード

山口智充(タレント)

10年くらい前、おふくろのふるさと、瀬戸内町の勝浦の海を見てるとモアモアモアモアブァ〰っと何かがこみ上げて来たんです!
DNAが騒いだというか、そんな感じは初めてで、「あっ、自分はここから来たのかな~」って感じたのを覚えています!
不思議でした!
自分じゃなく、おふくろの生まれたとこなのに‥。
細胞が受け継がれてる事を実感した瞬間でした!
生まれたところがふるさとだっていう概念より、もっともっと深いもの。
ふるさとってそういうものなのかなって。

タレント 山口智充

河瀬直美(映画監督)

これから夏を迎える私の心を大きく揺さぶるカサリンチュの新曲「故郷」。
それはあの夏の「故郷奄美」につながって、愛おしい。

映画監督 河瀬直美

西靖(MBSアナウンサー)

この曲の歌詞に

届いた荷物には 香る懐かしい家の匂い
冷凍された母の手料理

っていうフレーズがあります。こういうの、たまらないんですよね。
記憶のひだをつつかれます。学生時代、実家から送られてくる段ボールの中ってこんな感じだったなぁ、と。
うちのオカンは「あんたは放っておくと全然、野菜を食べないから」と、ほうれん草のおひたしを冷凍にしたものを送ってきたりしてました。
わざわざ鰹節のパックを付けて、「上に振りかけて醤油をかけて食べるように」なんてメモまでつけて。
ああ、はずかし。

こういうフレーズから呼び起こされる感情って、シンプルなものじゃないです。
「ありがたいなぁ」「懐かしいなぁ」と一緒に、その田舎臭さと子ども扱いぶりを「うっとうしいなぁ」なんて感じる青臭くも罰当たりな気持ちが少し混じっていたり。
都会に向かったときのワクワク感と寂しさと、田舎に背中を向けたことのちょっとした罪悪感までが同時によみがえってきたり。
実は、「好き」とか「会いたくてたまらない」とか「夢見る気持ち」とか「いつか叶う」なんていう、普遍的で抽象的で、いっけんパワフルに思える歌詞よりも、冷凍された母の手料理、のような具体的で手触りのある言葉のほうがはるかにパワーがあると、私は思っています。
カサリンチュは都会を知ってる。
だから故郷を捉え直して歌えるし、こういうフレーズが出てくる。
私のような半端な田舎モノの心を揺さぶってくれます。
それはとてもうれしくて、頼もしいことだと思います。

MBSアナウンサー 西靖

御法川修(映画監督)

僕の故郷は伊豆の下田。
麦わら帽子と海水パンツで岩場に座り、海を眺めていた自然児の記憶が原風景。
あのころ、道はまっすぐ伸びているものだと疑わなかったから、なんの迷いもなく東京へ出てきたけれど、現実は曲がりくねった道ばかりで、ウロウロしながら年齢を重ねてしまった気がします。
カサリンチュの歌を聴いていて、ただあの場所から始めればいいんだ、と気持ちを正すことができました。
ブーメランの起点のように、自分が必ず帰っていける聖なる場所としての故郷があれば、大丈夫。何度でも立ち戻って、やり直すことができる。
忘れていたことを呼び覚ましてくれるカサリンチュの歌、たいせつに想っています。
心から。

映画監督・御法川修

中 孝介(シンガー)

自分には帰るところが無いとか、田舎が無いとか言う話を聞くことがありますが、僕はそんな事は無いと思います。
辛い時、寂しい時に思い出す人、思い出す場所、それがその人にとっての故郷(ふるさと)なんだと思います。

中 孝介

須永珠代(ふるさと納税ポータルサイト「ふるさとチョイス」代表)

「ふるさと」がある人も、思い当たる「ふるさと」がない人も、きっと思いをよせる場所があると思います。
その場所は故郷(こきょう)という意味のふるさとに限りません。
カサリンチュの「故郷(ふるさと)」を聴いていると、思いをよせる場所があることの素晴らしさを改めて感じます。
私はふるさと納税を通じた地方創生の支援、コンサルを行っています。
今、ふるさと納税を通じて、地域が自立するためのチャレンジを真剣に取り組んでいます。
ふるさとがある人もない人も、第2、第3のふるさとを、ふるさと納税によってつくること、つながることができます。
ふるさと納税で、思いをよせる場所を日本中につくってみませんか?
「故郷(ふるさと)」を聴きながら。

株式会社トラストバンク代表・須永珠代

麓憲吾(ライブハウスASIVI・あまみエフエム代表)

みなさん、ウガミンショ~ラ(こんにちは)
「故郷♪」当時のことを思い出しますね~泣

自分もタツヒロ・コウスケ同様、一度島を出ました。
というか、高校卒業したらそのほとんどが島を出るんです。
ある意味、大人になるための儀式みたいなもんですね。

自分がそれまで暮らした島での18年間が、
暖かい日差しや眼差しに包まれて生きてきたことを
初めて島を出てみて気づくんです。

もちろん、体の行き先は東京だと分かってましたが、
憧れて向かったものの正直、心の行き先はここなのか?と、
うまく着地することができませんでした。

島では一度も味わったことのないこの孤独感や劣等感に、自分は一体何者なんだろう?と戸惑い、
島の人たちや風景が自分の存在を常に認めてくれることのありがたさを改めて痛感しました。

それからというものフラフラと自分探しの寄り道ばかり、
結局、帰巣本能に身を委ね、島へと辿り着きました。

あれから自分のこと、島のこと、
小さくて大切なことを深く考えるようになりました。
ソトから魅せられてたもの以外に
ウチの足元には大事なことがたくさんがある!ということに気づきました。

一人になってみて、はじめて「故郷」という存在と出会えること。
島(故郷)は、母ちゃんのお腹の中みたいなところ。
そんな母なる島から生まれ、世の中へ旅立ち、時には傷つき、
自分という存在に気づき、また島へと戻り何かを築き、
また何かを生み出していく・・・
そんな風にめぐりつないでいくことが、今はとても大切なことだと思います。

そういえば、島口(島の方言)にはGOODBYEという意味の言葉はありません。

故郷を旅立ち、またいつか故郷と出逢う。
そんな風に「故郷」というものが、浸るものから至るものになればいいなあ。

内地で、きばってる島ッチュのみんな~
いつかバトン渡しに島に帰って来てやー!
長い目で待ってるど~。

ダレバ、マタアシャ!(SEE YOU AGAIN !)

来ゅんにゃ加那~♪

ライブハウスASIVI・あまみエフエム代表 麓憲吾