山口智充(タレント)
10年くらい前、おふくろのふるさと、瀬戸内町の勝浦の海を見てるとモアモアモアモアブァ〰っと何かがこみ上げて来たんです!
DNAが騒いだというか、そんな感じは初めてで、「あっ、自分はここから来たのかな~」って感じたのを覚えています!
不思議でした!
自分じゃなく、おふくろの生まれたとこなのに‥。
細胞が受け継がれてる事を実感した瞬間でした!
生まれたところがふるさとだっていう概念より、もっともっと深いもの。
ふるさとってそういうものなのかなって。
タレント 山口智充
河瀬直美(映画監督)
これから夏を迎える私の心を大きく揺さぶるカサリンチュの新曲「故郷」。
それはあの夏の「故郷奄美」につながって、愛おしい。
映画監督 河瀬直美
西靖(MBSアナウンサー)
この曲の歌詞に
届いた荷物には 香る懐かしい家の匂い
冷凍された母の手料理
っていうフレーズがあります。こういうの、たまらないんですよね。
記憶のひだをつつかれます。学生時代、実家から送られてくる段ボールの中ってこんな感じだったなぁ、と。
うちのオカンは「あんたは放っておくと全然、野菜を食べないから」と、ほうれん草のおひたしを冷凍にしたものを送ってきたりしてました。
わざわざ鰹節のパックを付けて、「上に振りかけて醤油をかけて食べるように」なんてメモまでつけて。
ああ、はずかし。
こういうフレーズから呼び起こされる感情って、シンプルなものじゃないです。
「ありがたいなぁ」「懐かしいなぁ」と一緒に、その田舎臭さと子ども扱いぶりを「うっとうしいなぁ」なんて感じる青臭くも罰当たりな気持ちが少し混じっていたり。
都会に向かったときのワクワク感と寂しさと、田舎に背中を向けたことのちょっとした罪悪感までが同時によみがえってきたり。
実は、「好き」とか「会いたくてたまらない」とか「夢見る気持ち」とか「いつか叶う」なんていう、普遍的で抽象的で、いっけんパワフルに思える歌詞よりも、冷凍された母の手料理、のような具体的で手触りのある言葉のほうがはるかにパワーがあると、私は思っています。
カサリンチュは都会を知ってる。
だから故郷を捉え直して歌えるし、こういうフレーズが出てくる。
私のような半端な田舎モノの心を揺さぶってくれます。
それはとてもうれしくて、頼もしいことだと思います。
MBSアナウンサー 西靖
御法川修(映画監督)
僕の故郷は伊豆の下田。
麦わら帽子と海水パンツで岩場に座り、海を眺めていた自然児の記憶が原風景。
あのころ、道はまっすぐ伸びているものだと疑わなかったから、なんの迷いもなく東京へ出てきたけれど、現実は曲がりくねった道ばかりで、ウロウロしながら年齢を重ねてしまった気がします。
カサリンチュの歌を聴いていて、ただあの場所から始めればいいんだ、と気持ちを正すことができました。
ブーメランの起点のように、自分が必ず帰っていける聖なる場所としての故郷があれば、大丈夫。何度でも立ち戻って、やり直すことができる。
忘れていたことを呼び覚ましてくれるカサリンチュの歌、たいせつに想っています。
心から。
映画監督・御法川修
中 孝介(シンガー)
自分には帰るところが無いとか、田舎が無いとか言う話を聞くことがありますが、僕はそんな事は無いと思います。
辛い時、寂しい時に思い出す人、思い出す場所、それがその人にとっての故郷(ふるさと)なんだと思います。
中 孝介
須永珠代(ふるさと納税ポータルサイト「ふるさとチョイス」代表)
「ふるさと」がある人も、思い当たる「ふるさと」がない人も、きっと思いをよせる場所があると思います。
その場所は故郷(こきょう)という意味のふるさとに限りません。
カサリンチュの「故郷(ふるさと)」を聴いていると、思いをよせる場所があることの素晴らしさを改めて感じます。
私はふるさと納税を通じた地方創生の支援、コンサルを行っています。
今、ふるさと納税を通じて、地域が自立するためのチャレンジを真剣に取り組んでいます。
ふるさとがある人もない人も、第2、第3のふるさとを、ふるさと納税によってつくること、つながることができます。
ふるさと納税で、思いをよせる場所を日本中につくってみませんか?
「故郷(ふるさと)」を聴きながら。
株式会社トラストバンク代表・須永珠代
麓憲吾(ライブハウスASIVI・あまみエフエム代表)
みなさん、ウガミンショ~ラ(こんにちは)
「故郷♪」当時のことを思い出しますね~泣
自分もタツヒロ・コウスケ同様、一度島を出ました。
というか、高校卒業したらそのほとんどが島を出るんです。
ある意味、大人になるための儀式みたいなもんですね。
自分がそれまで暮らした島での18年間が、
暖かい日差しや眼差しに包まれて生きてきたことを
初めて島を出てみて気づくんです。
もちろん、体の行き先は東京だと分かってましたが、
憧れて向かったものの正直、心の行き先はここなのか?と、
うまく着地することができませんでした。
島では一度も味わったことのないこの孤独感や劣等感に、自分は一体何者なんだろう?と戸惑い、
島の人たちや風景が自分の存在を常に認めてくれることのありがたさを改めて痛感しました。
それからというものフラフラと自分探しの寄り道ばかり、
結局、帰巣本能に身を委ね、島へと辿り着きました。
あれから自分のこと、島のこと、
小さくて大切なことを深く考えるようになりました。
ソトから魅せられてたもの以外に
ウチの足元には大事なことがたくさんがある!ということに気づきました。
一人になってみて、はじめて「故郷」という存在と出会えること。
島(故郷)は、母ちゃんのお腹の中みたいなところ。
そんな母なる島から生まれ、世の中へ旅立ち、時には傷つき、
自分という存在に気づき、また島へと戻り何かを築き、
また何かを生み出していく・・・
そんな風にめぐりつないでいくことが、今はとても大切なことだと思います。
そういえば、島口(島の方言)にはGOODBYEという意味の言葉はありません。
故郷を旅立ち、またいつか故郷と出逢う。
そんな風に「故郷」というものが、浸るものから至るものになればいいなあ。
内地で、きばってる島ッチュのみんな~
いつかバトン渡しに島に帰って来てやー!
長い目で待ってるど~。
ダレバ、マタアシャ!(SEE YOU AGAIN !)
来ゅんにゃ加那~♪
ライブハウスASIVI・あまみエフエム代表 麓憲吾